外れないネジと進まない曜日

朝から土砂降り、なぜか4時に目が覚め部屋の掃除を始める。

兄が残していった学習机を破棄したいが、解体できない問題が残っている。両親と私は一年以上見て見ぬふりをしてきた。上半分の棚と机を固定するネジ頭が潰れている。どうやらネジザウルスという工具を使わないと外すことは叶わないようだ...。しかもネジザウルスの中でもバズーカという種。気が重い。学習机はまたしばらく私たちの視界から外されることになった。

押し入れにヒーターを片付け扇風機を出す。一人暮らしの時に使っていた食器類も見つけたのでこれも出す。アンバーのガラスボウルがとても綺麗なのです。昔から透明のものに目がない。夏は透明感のあるものがもてはやされるので私もうれしい。


気がつくと12時。昼ごはんの時間になっていた。酸味と辛味を求めていたので、ラーメンを茹で、スープにこれでもかと豆板醤とレモン汁を投入。さすがにむせました

お腹も満タンになり、筋トレでもしようかな...と思い床に寝転がった。しかし、私の筋肉が痛めつけられることはなかった。寝ていたからだ...

時計は16時。夕方に目が覚めたときって時間をワープしたみたいだなーとのんきに思う。


雨も小降りになっていたので、外出することにした。スーパーに入ると、驚いたことに突然三角巾のお姉さんに3つの袋を渡された。

中にはヤクルトが一本ずつ。どうやら試供品のようだ。「どうぞ〜配っています」と言われたけど何一つ情報が増えていない。

ありがたく受け取って、砂肝揚げチップスのようなものを買って帰った。(これはティッシュを噛むような食感だった、味はお酒に合いそう)


晩ごはんを食べ、今日一日を振り返った。こんなザ・日曜日があるんだなあと思った。しかし、カレンダーを見ると「火曜日」。現実との2日のズレは私を急に心細くさせた。

一応学生の身分ではある。小中高生時代は、曜日感覚を忘れることイコール長期休みの自由を意味していたから、ポジティブに捉えていた。しかし今は違っている。なぜなんだろう。


到達点に辿り着かない毎日は人を不安にさせる。だから私たちは入学、就職、結婚・出産、昇進、定年退職などのライフイベントや記念日を大切に捉えているのだと思う。

時間に関しては、12ヶ月、4週間、7日という単位で区切ることで、ゴールが遠い80年程の人生をなんとか続けているのだろう。

この時間の区切りが曖昧になっていることが不安要素になっているのかな。だから祖母は朝ドラや日曜20時の大河ドラマを楽しみにしていたのか。


色々と考えた末に、曜日感覚のない今だからできることがあるのではないかと気がついた。それは、曜日を自分独自の視点で捉えることだ。社会人になり曜日感覚が戻れば、「月=ブルー、金=もうひと頑張り、土=休息、日朝=おでかけ、日夜=ブルー」などの共通認識に飲み込まれることが予想されるから。曜日感覚のない「人生の夏休み」を活用してみようと思う。


具体的にやりたいことが今いくつか浮かんできていて、とてもワクワクしている。

頭の中のごちゃごちゃが形になる日が来るといいな。がんばります。


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(水曜日とかけて水を飲んでみたけどよくわかんないな)